狩猟ということ

☆2012年12月4日
狩猟について思うことをつらつらと書いていきます。

あくまで自分個人の考えなので他人に強制するつもりも無いですし、
他人にどーこー言われるものでも無いと思ってます。
議論は楽しいですけどね。(^_^;)

これを書いている時点で狩猟免許(罠、第二種空気銃猟)を持っていて
実銃(空気銃)を持っているけれどまだ一匹も捕まえていないし殺してもいないという状況です。

命を頂くということ。
あまりにありきたりなことなので書くのもどうかと思われることですが、
狩猟というのは自分で獲物を殺して命と肉を頂くということです。
殺しておいて頂くも無いもんだとも思いますが、やはり感謝して頂くものだと思っています。

たまに殺して食べるのは残酷である。という意見を見ることもありますが、
命を頂くことに関して相手が、猪だろうが、豚だろうが、ウサギだろうが、魚だろうが、植物だろうが、変わりのないことだと思います。

人は殺して食わなきゃ生きていけないのです。

植物はいいけど動物はダメとか、牛はいいけどクジラはダメとか、そういう意見にも賛同できません。
希少動植物は保護しなければいけないと思いますが、基本的には乱獲とかそういう事がないようにエライ人が法律を考えて作っていると思ってるので、法に従ってやりたいと思います。

また、自分で殺さなくてもいいだろうという意見もあります。
それもまあ最もな意見だと思います。
ただ、自分でやっても見ずにどーこー言うのもどうかな?とも思うのです。

「屠殺ワークショップ」というものをやっておられる方も居ますが
学校でもそういう事をやったほうがいいと自分は思っています。
他人が殺して綺麗に精肉されたパック詰めの肉を何も考えずに食べているよりは
よほど健全だと思います。

実際に屠殺というものを見て、殺して命を頂くということをよく考えれば
自分でやってみるもよし、他人にお金でやらせて買うもよし、菜食主義になるもよしだと思います。

つまるところ、
山に行って山菜を取ってきて食うのも、
海に行って魚を釣って食うのも
狩猟で動物を獲ってくうのも
それほど大差ないことなのではないでしょうか。

 

☆2012年12月26日 追記
記事にも書きましたが先日鹿を1頭捕まえました。

捕まえた、なんてマイルドな書き方をしていますが、実際にはツノが鹿よけネットに絡まり身動きできなくなっているところを近距離からエアライフルで撃ち殺したのです。
正直、色々と逡巡しました。
本音を言えば鳩とか、鴨とか、小さなものから慣らしていきたいというような考えはありました。

じぶんは釣りもするのですが、イワシやアジを釣ったときはあまりなにも考えませんが、ボラなどを締めるときは若干心のなかで抵抗感を感じます。
獲物の大きさによって感情移入する度合いがあるのかもしれませんね。

しかし、結局は食うと食われるの関係なのです。

自分の考えをどーこー言われるのが好きではないので、あまり他人をどーこー言うつもりはないですが、バスフィッシングなどはちょっとかわいそうに思ったりします。
食うわけでもないのに口に釣り針をかけて引きずり回して楽しむという…。
食べるために捕獲する過程でそうなるのなら仕方ないと思いますが。
ま、考え方は人それぞれですからね。

そして、鹿を捕まえて数日が経ち、その間、毎晩肉をバラすのに肉と格闘。
こっちの勝手な話だが、せめて美味しく食べてあげたいという思いでがんばりました。

鹿を殺すことに慣れる、と言うとすごく語弊があるというか、心情を全く表しきれていませんが、
自分が生きていく上で、食べるために殺す、ということがあってもいい、(実際には牛や豚などを大量に殺してもらって食べているわけですが)という思いで徐々に、心境が変化していくのを感じています。

この数日間で、食べられる側の動物(牛、豚、鹿、鳥、魚)、それを飼育(捕獲)してくれる人、屠殺して肉にしてくれる人、売ってくれる人、料理してくれる人、そうやって自分に見えないところで自分に大きく関わってくれている人に感謝したいという思いが強くなりました。

この感覚は大事にしたいと思います。(−人−)

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